2024.11.20
残念な結果だったとしても資格試験の勉強をしたことの価値
先週は賃貸不動産経営管理士の試験がありました。受験された方お疲れ様でした。
来週は宅建試験の合格発表があります。
行政書士試験からは1週間以上が経ちました。
試験後の生活のリズムも段々体に慣らしながらという感じでしょうか。
自己採点をして、おそらく合格だという場合も、自信がない場合も、高い確率で残念そうだという場合にも
これでよかったのか、今後どうしようか・・一旦虚無感に襲われる日があるような気がします。
残念な結果を予想してしまう場合は尚更今までの勉強は何だったのか・・・費やした時間は無駄だったのか・・・などと
時には投げやりな気持ちや苛立ちが出てくることもあると思います。
今回は、その費やした努力や苦労がどこで発揮されるか、いつ自分に返ってくるのかを個人的な見解ですが書きたいと思います。
①勤務している場合は勤務先、学生の場合は大学など
結果に限らず、資格試験が終了したあと発表までに1ヶ月以上時間があります。
受験後の日常で訪れるのはまず空いた時間が空いたままになれることです。受験までは、1日を回すことに精一杯で必死にやるしか
ないので仕事が嫌だとか学校が嫌だとか考える余裕が大幅に減ります。
私自身が実際経験したのは、試験が終わったあと「今日から仕事と家事育児だけでいいんだ、やったー」という感情です。
試験勉強をしていなかったら絶対思うことはなかったでしょう。普通はそれで精一杯だからです。ただ負荷がかかり過ぎた自分の荷物が一つ減ったことによる幸福感が大きかったです。
仕事や学校が辛くて別の方向性も取り入れるために資格試験の勉強をしていた場合、受験が終わって元の生活に返ってきたとき、以外にもそんな仕事や学校が嫌ではなくなっていたりするかもしれません。(最初だけかもしれませんが・・・)
ようは辛い環境からさらにキツイ環境を上乗せしたことにより、辛い環境が少しの間辛くない環境になることが価値のひとつだと思います。それで現状の仕事を続けられたり、学校に通うことができたのならとても大きなプラスの変化が自分に返ってきています。
②叩かれたり、マイナスな事を受けた時
生きていると人間関係で心無い言葉を受けたり、ネガティブな感情を突き付けられてしまうことがあります。
感情だけでなく、行動でも自分の扱われ方が繋ぎだなとか、相手が都合を押し付けてきたりするとしんどくなります。
超鈍感でそれに気づかないことが素晴らしい特技ですがおおよそ人は頭が働いて傷つきます。
宅建試験の時に吉野塾の特別講座を受講した際先生が最後に「必死」についてお話して下さいました。
「必ず死ぬと書きます。でも死にません。必死になって下さい。」というお話でした。
どの資格試験でも、体調不良等ない限り本試験で人は必ず「必死」になります。なので資格試験を受けた人は合否に関わらず全力投球をして必ず命ではない何かを死なせているため、その必ず死んだ何かがのちに蘇ったら強くなっていると思います。強くなった人は叩かれたりしても解決策を作れるような精神に鍛えられていると思います。
「あの時あんなしんどい思いして勉強してきたことを思うとどうでもいい」
と思えることが増えてくると思いますし、その苦労を忘れてしまっていたのならまだまだ余力があるので、また何かに挑戦することが出来そうです。
そう考えると、もし残念な結果だったとしても勉強してきた時間の価値が自分に返って来るように思います。
モノは考えようですが、個人的には結果がどうであったとしても努力して勉強してきたことは価値があることだと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます。一日一日一歩ずつ(^^♪